<やってみた>40歳でも遅くない。やりたいことを見つけるために、私がやったこと(第二章)

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さて、前回の記事で、
本に感化され、自分の可能性をあきらめないぞ!
と思ったものの、
結局それは思っただけで、
何から手を付けていいかわからなかった私。

ちょうどそのころ起きた、東日本大震災。

 

自分の人生、これまでのこと、これからのことを考え、
たまたまその頃始まったのが、勝間塾でした。

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自分のやりたいことは全く分からず、
自分が何に向いているかも分からない。

ただ、
なんだか分からないけれど、
これは私に刺激を与え、
新しい扉を開いてくれるものだ!!と、
その時直感的に思いました。

勝間さんのTwitterで塾がスタートすることを知り、
すぐに申し込みをしました。

 

その時の勝間塾の紹介の言葉に、
『5年後に出版、起業を目指す人』
ということが書いてあり、
私は『起業』というキーワードに心を惹かれたのだと
思います。
何者でもなかった自分が、
何者かになる、というのは起業なのかもしれない、
いや、きっと起業だ。
そうだ、ここに入れば起業できるんだ!
と、まだ何も始まっていないのに、
希望に胸が躍っていました。

 

胸躍るのはいいのですが、
ここまでやったことといえば、
『勝間塾に申し込む』というボタンをクリックして、
お金を払った、という行為だけです。

 

根本的な私の中身は正直1mmも変化はしていません。
何かに『期待をしている』とき、
人は変化をしている錯覚をしますが、
実は何も変化していません。

 

そして、
その錯覚から覚めて現実と向き合う時が来た時、
起こるはずだった(と、自分が勝手に思っていた)こととは違うことばかりが起こり、

やっぱり私はダメなんだ、と、
ショックを受け、悲しくなっているふりをして、
もっともらしい理由を並べ、

『自分がやりたいことを見つけようとしたけど、
駄目だったんだよ』
と、誰に対してかもわからない、
免罪符をちらつかせていた気がします。

 

『何もしてないんだから、何も変化しないのは当たり前』

 

と、他人事なら思えるのに、
これが自分のこととなると、
勝手に期待し、勝手に落ち込む、というループにはまりがちでした。
期待、はとてもいい、気持ちいい言葉です。
でも、
期待は自分が勝手に抱くもの。
抱く、という行為は自分の意志で決めれる範囲ですが、
期待を抱いた出来事が起こるかどうかは、
確約されたことではありません。
なのに、
脳内の『こうなればいいな』は、
いつしか『こうなるのかも?』
になり、最終的には、『こうなるに違いない』と
思ってしまう時すらあります。

 

この時の私は、
まさにそういう状態だったのですが、
自分ではそれには気づかず、
ただただ、これから始まるまだ見ぬ未来に、
自分が大きく変化する姿、
いや、周りが自分を変化『させてくれる』姿だけを思い描いていました。

 

そして、2011年4月から勝間塾がスタート。

 

ここで多くのことを学びましたし、
今まで私が出会ったことのない人たちからのお話を聞いたり、
自分が知らなかった分野を学ぶプログラムが、
豊富に用意されていました。

月一回読む本が2、3冊ありましたが、
それらは、
私のそれまでの人生では絶対に手に取らなかったようなものばかり。

そして、
一人で宿題に取り組むのではなく、
仲間で取り組むことでわかることや、
それによって、繋がり広がっていくつながり、友人の和。
コミュニティと呼ばれる、クローズドの環境での他の塾生とのやり取りも、
とても刺激的で、わくわくするものでした。

 

会社員として勤め、
それ以外の自由な時間は娯楽ばかりだった私の人生に、
資格を取得する、ということが目的ではない、
『勉強』『学習』が追加され、劇的に生活は変わりました。
その年の7月には塾で合宿もありました。
(湘南国際村センター)

ストレングスファインダーや、
(こちらはそれ以降、のちに私の人生に大きな変化をもたらすものになりますが)
ロジカルシンキング、マーケティング、起業、会計…などなど、
おそらくMBAでも取りに行かなければ一生触れなかったことに触れる、
ということはとても新鮮であり、

同時に、

自分が生きていた世界が、
想像していた以上に、もっともっと広い、
ということを思い知らされました。

 

それは、単純に世界にはいろんな人がいる、
というだけではなく、
自分がこれまで触れてこなかった、
あることすら知らなかった、
知識、考え、歴史、常識、テクノロジーが、
山のように存在し、
そこにはそこの世界がさらに広がっていること。

そして、私が生きていた範囲が、
自分が思っている以上にもっともっと狭かった、
ということに気づくことができました。

狭いことが悪い、
というわけではなく、
私自身が、自分の輪は十分に広い、
と、勘違いしていた、ということに気づけたことが、
大きかったのです。

その様々に広がる輪が、
もともとの自分の小さな『輪』に交わることで、
自分の人生の『面積』が増えるような感覚がありました。

それは18歳で留学し、
アメリカに行ったときの感覚とよく似ていました。

 

こうして、自分の人生に刺激を受け、
私はいろんなことを学び、
また、いろんな人と出会うのですが、
最終的に、当時の私は、
自分のやりたいことを見つけることができませんでした。

 

その原因は今思うと、
学ぶ、という状況にいることで、
自分自身を安全な場所に置いていたのだろうと思います。
仕事以外でいろんなことにチャレンジしていることで、
自分は仕事以外も有意義に時間を過ごしている!
と思えるようになったことは、
本当に良いことでした。

 

でも、
『有意義に時間を過ごしている』
という、状況に満足し、
何か特別なことをしている気になり、
結局のところ、

 

『何のためにそれをしているのか?』

 

という問いはスッポリ抜けてしまっていました。

起業は?本の出版は?
やるんじゃなかったっけ?

 

結局、
私はどこまでも『受け身』であり、
塾に参加することで、
いろんなことを学び、濃い内容に触れ、
今も続くご縁、出会いに恵まれたにもかかわらず、
『自分が試される場面に、
自分から能動的に行動する』

 

ということをやらなかったのです。
思い切って環境を変える、
という行動をした自分は素直に褒めてあげたいのですが、
自分が結局『受け身』で居続けた。
自分が自分を変えるしかないのに、

“何かのきっかけ”が、

もしくは、

“誰か”が、

私を『変えてくれる』

 

ということを待ってしまっていたのが、
大きな問題でした。

 

その後、
大きな停滞期に入ります。
逆戻りした、と言ってもいいのかもしれません。

 

が、
今でも、あの時、勝間塾に申し込むという行動をしなかったら、
『これかもしれない』を見つけた今にも、
繋がっていない。

だから、
この時の決断も、
そのあとの停滞期も、きっと意味があった。

 

ただ、それは今だから言えることです。
停滞期の私がどんな風だったか。
次回はそのことを書きたいと思います。

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